Photo by Hall of Economists, Germany
Keynes, J. M (1883.6.5-1946.4.20)


 イギリスの経済学者。インド省に勤め,その間,確立論の研究に没頭し, (A.)マーシャルが引退した年 (1908)に,ケンブリッジ大学の特別研究員となり,貨幣論を講じた。数多くの分野で活躍はしたが,殆ど終生,経済学を業とした。王立インド通貨金融審議会 (13-14)や大蔵省 (15-19)にも関係し,第一次大戦後の講和会議には大蔵省主席代表として出席し,講和条約中特に賠償案の矛盾を指摘したが容れられなかったので職を辞し,『平和の経済的帰結』The Economic Consequences of the Peace, 1919を公にして一躍有名となった。第二次大戦が始まるや再び大蔵省やイングランド銀行に迎えられ,国際通貨基金の設立や英米金融協定の妥結に重要な役割を果たした。またEconomic Journalの編集者となり (12来),33年間にわたって同誌の権威を高めた。多角的文化人で,有名なバレリーナのリディア・ロボコヴァ (Lydia Lopokova)と結婚し (25),またいわゆる「ブルームズベリ・グループ」の一員として当時一流の知識人達と交際するほか,国民相互生命保険協会の会長,ケンブリッジ芸術劇場の経営等にも携わった。経済学者としての処女作は『インドの通貨と金融』Indian Currency and Finance, 1913で,その後もいくつかの著書を公にしたが,遂には「ケインズ革命」の言葉を生むにいたった彼の独創性は,『雇用,利子および貨幣の一般理論』The General Theory of Employment, interest, and Money, 1936で初めて結実した。概して時局的感覚の強い学者なので,ここでも大恐慌 (29)後の不況を理論的に説明するに重点をおくと共に,政策への繋がりをも示唆した。その功績は,次第に現実離れしつつあった当時の新古典派経済学を,その学派の理解しうる言葉をもって,一歩現実へ近づけた点にある。[主著]前記のほか:A Treatise on Probability, 1921; A Treatise on Money, 2 vols, 1930; How to Pay for the War, 1940.[文献]R. F. Harrod, The Life of John Maynard Keynes, 1951.(岩)



The Economic Consequences of the Peace (1919) (socsci.mcmaster.ca)
The World's Economic Outlook (1932) (theatlantic.com)


Other texts
John Maynard Keynes(zolatimes.com) by Milton Friedman from The Laissez Faire City Times, Vol 3, No 10, March 8, 1999
Why are't we all Keynesians yet?(zolatimes.com) by Paul Krugman

Other Information
The John Maynard Keynes Papers in King's College, Cambridge (chadwyck.co.uk)
J. M. Keynes/R. Harrod, Letters and Memoranda(u-tokyo.ac.jp) JOHN MAYNARD KEYNES, Correspondence and Memoranda with ROY HARROD (227 items)

Other Image
Hall of Economists (wiso.uni-erlangen.de)


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