Photo by The American Revolution - an. HTML project, Netherlands
Washington, G (1732.2.22-1799.12.14)

 アメリカ合衆国初代大統領 (1789/97)。ヴァージニア州ウェストマランド郡ブリッジズ・クリークの地主の子。義兄 (Lawrence W.)の指導で測量術を修め,ペンシルヴァニア,ヴァージニアで測量に従事し (1748-49),義兄の死によりマウント・ヴァーノンの農地を遺産として継いだが (52),7年戦争をひかえた当時の新大陸ではイギリス,フランスの駐屯軍の間が緊迫していた。少佐に任ぜられ (同),ヴァージニア義勇軍を指揮してイギリス軍の急を救い,新任イギリス司令官ブラドッグの参謀 (55)として善戦,大佐に昇進して全ヴァージニア軍を指揮し,フランス軍の強力な要塞デュケーヌ(現在のピッツバーグ)陥落まで (58)よくイギリス軍を援けて戦った。富裕な寡婦マーサ・カスティス (Martha Custis 1732-1802)と結婚 (59),マウント・ヴァーノンに退いて農園経営に当り,ヴァージニア代議会議員となった (59-74)。この間にイギリス本国の植民地政策を不当とする態度を固め,印紙税反対,イギリス品不買運動等にも率先し,これらの運動の指導的人物の一人となった。大陸会議 (74-75)にはヴァージニア代表として出席,独立の気運みなぎる中で全植民地軍の総司令に任ぜられた (75-83)。独立戦争 (76-83)中は,武装も規律も整わぬ軍隊をよく訓練,統率し,多くの困難に堪えてイギリス軍に抗した。フランスと同盟 (78)後は戦局有利に展開し,ヨークタウンを攻略 (81)してアメリカ軍の勝利を決定的にし,ニューヨークに進駐 (83.4)して目的を果し,再び田園生活を求めてマウント・ヴァーノンに退いた (83.10)。彼は独立戦争および戦後の問題処理等を通じて連合政府の無能を知り,強力な中央政府の必要を痛感していたが,憲法会議 (87)には議長として批准に尽力し,満場一致の投票で新しい合衆国政府初代大統領となった (89)。再選 (92)。大統領としては,内政的には連邦主義者と共和論者との均衡を図ってハミルトンを財務長官,ジェファーソンを国務長官に任命し,また西部農民の「ウィスキー暴動Whisky rebellion」を秩序維持のため自ら鎮圧し (94),イギリス (94),スペイン (95)と国交回復の条約を結び,比較的有利な外交交渉に成功した。次期大統領の改選 (96)には民主主義発展のため3選を不適当とし,アメリカ孤立主義伝統の源となった「訣別の辞Farewell address」を発表してマウント・ヴァーノンに引退 (96)。のちフランスとの関係が悪化し,大統領アダムズの要請により再び総司令官に任命されたが (98),在任中マウント・ヴァーノンで没。[全集]C. Fritzpatrik (ed), The writings of G. W., 39 vols., 1931-45.[文献]R. Hughes, The life of W., 3 vols., 1926-30; N. W. Stephenson; W. H. Dunn (ed), G. W., 2 vols., 1940; B. Knollenberg, W. and the revolution, 1940.(岩)


First Inaugural Address (www.columbia.edu)
Second Inaugural Address (www.columbia.edu)
Letter of President of the Federal Convention, to the President of Congress, Transmitting the Constitution (ucsb.edu)
The Proclamation of Neurality (ucsb.edu)
Washington's Farewell Address (ucsb.edu)
Washington's Farewell Address (grid.let.rug.nl)
Letters of George Washington to John Hancock, September 24, 1776 (grid.let.rug.nl)


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